これを聞かせると、子どもの自己肯定感は下がります。
それは…
親が、子どもに、「身内の愚痴を話して聞かせること」 です。
特に、夫や舅、姑に対する愚痴は、聞かせてはいけません。
なぜか。
子ども自身が否定されていることになるから
子どもが物事に対してネガティブになるから
です。
実体験に基づいて考えたことと、現在の子育て中に実践していることを、書いてみようと思います。
母親の愚痴の内容について
まずは、愚痴の内容を説明させてください。
実家は同居世帯だったので、祖父母👴🏻👵🏻(筆者の父親の両親)と、両親👨🏻👩🏻、筆者と姉👧🏻の6人家族でした。
大方の例にもれず、母親👩🏻と祖父母👴🏻👵🏻の仲は悪かったです。
夫婦仲👨🏻👩🏻も悪かったです。
ケンカの発端は母親👩🏻で、
内容は、
同居している祖父母👴🏻👵🏻のストレスフルな言動についてと、
それについて父親👨🏻が味方になってくれず母親👩🏻を責めるような言い方をする、
ということでした。
例えば…
料理や掃除をしない祖母👵🏻が、何度も冷蔵庫を汚す
→母👩🏻が祖母👵🏻にきれいに使うよう何度も注意する
→それを聞いた祖父👴🏻が、母親👩🏻を叱る
→父親👨🏻に愚痴ると、母親の言い方が悪いのではと言われ、ケンカになる
外食する時にどこに行こうか決める時
→胃腸の調子が悪いから、さっぱりめ(お蕎麦やうどん)がいいと母👩🏻が父👨🏻に言う
→父👨🏻が祖父母👴🏻👵🏻と話しに行く
→祖父母の希望でラーメン屋に決定
→👩🏻「さっぱりがいいって言ったじゃない!」とケンカになる
などでした。。。
ものごころがつく前から、そのケンカのやりとりを聞いていて、私は常に母親の味方になっていました。
時には私が父親に対して、
「お母さんはこういう気持ちなんだから、そんな言い方は違うよ。わからないの?」と言い
母親の援護をしていました。
なぜ母親の味方だったのか
トラブルの内容は、母親からしか聞かないので、母親の主観ゴリゴリの内容になります。
母親も味方が欲しいので無意識的にも主観が強くなっていたようです。
時には父親の話も聞くのですが、「母親の味方をせねば!」というモードで聞くので、聞く耳持たずでした。
家の中で味方のいない母親は、子どもたちを味方にするしか、なかったのだと思います。
こどもにとっては、母親はある意味絶対的存在ですしね。。。
祖父母の亡き後も、
「祖母はこんなひどいことを私に言った」
「祖父はあんなダメな人間だった」
「父親はあの時、私の味方をしてくれなかった」
と、愚痴が止まることはありません。
エピソードも数多いですし、その内容を聞くと、
母親は本当に精神的にきつかったのだろうと、理解できます。
ほんとに、同居って、諸悪の根源の場合が多いです。
「愚痴を聞いてあげるのは親孝行」と思い込んでいたこと
正式な愚痴聞きが始まったのは、
私の反抗期(家族と口をきかない時期)が終わり
「母親とは仲良くしなくてはいけない」と思い、母親と話すようになった大学生くらいからでしょうか。
子どもとして、愚痴をきいてあげるのは、親孝行のひとつと思い、「そうだね。そうだね。」と母親を肯定しながら聞いてあげていました。
その時も母親からしかエピソードを聞かず、父親サイドの意見は聞いていないので、母親の主観ゴリゴリ話を信じるわけです。
母親は自分の味方になってほしいですから、自分に都合のよい話をしますしね。
親孝行をしたい気持ちも相まって、
顔を合わせば、電話をすれば、
いつも父親と祖父母(たまに親戚)の愚痴をずっと
「そうだね。そうだね。」と聞いてあげていた記憶があります。
なぜ、自己肯定感が下がるのか
では、家族の批判、愚痴を聞き続けることが、なぜ自己肯定感の低下につながるのか。
理由は2つあると思っています。
1自分の半分を否定されているから
別人格とはいえ、子どもには、父親/母親の血が、祖父母の血が流れています。
つまり、子どもが
「親や親族に対する愚痴を聞いてあげる」
という行為は、
「自分の半分を否定する言葉を聞き続ける」
という行為なのです。
父親/母親のことを好きでなかろうと、です。
そのことに気づいたのは、本当につい最近のこと。
もういいおばさんの年齢です。
自分が子どもを育てていると、自分の育てられ方や母親との関係を考え直す機会が増えるからでしょうか。
生きづらさを感じる原因を思いめぐらせたり、子どもたちにはこんな思いをさせたくないな~という思いの中で、このことは自分の中で腹落ちした感覚がありました。
もちろんこれまでも、愚痴を聞き続けるのは「なんかツライなー」と嫌だったし、
電話で1時間も愚痴を聞いた後は、
ものすごく疲れてぐったり動けず、虚脱感にさいなまれていました。
それでもずっと、愚痴聞きは親孝行と思っていたのですから、
母親からの呪縛って、強固で偏ったものなんだな、と恐ろしく感じます。
2自分の感情より親の感情を最優先にするから
母親と、父親&祖父母の対立の中で生活している中で
自然に、母親が悪い立場にならないよう常に気を張っていました。
そうやって母親を守ろうとすると同時に、自分のせいで母親の機嫌が悪くならないようにも気を配っていました。
「今これを言ったら、母が文句言われる可能性を感じて、母は不機嫌になるだろうな」
「自分がこれをやったら母の立場が悪くなるから、母は嫌がるだろうな」
というように、先々の母親の機嫌を予測しながらそれを最優先に言動を選択するので、
常に自分の感情や思いは二の次にしていたような感じでした。
それは確実に自己肯定感を下げることにつながっていると感じます。
なぜ、物事にネガティブになるのか
では、身内の愚痴を聞き続けることで、なぜ物事に対してネガティブになるのか。
それは
「何かやっても、父親のように愚痴を言われる」
「何かやっても家族のようにうまくいかないだろう」
「何かやってうまくいかないと、同じように悪く言われる」
と、無意識に思い込んでいるからです。
自分に対しての愚痴ではなくても、否定されるイメージが強いので、
それを避けようとします。
だから、何かチャレンジすることが億劫になる。
物事をネガティブにとらえるようになりました。
良い面もある…??
愚痴を聞き続けることで良い面があるとすれば、
「人のふり見て我がふり直せ」
が実践できることです。
「あんな言い方はしてはいけないんだ」
「あんな事はしてはいけないんだ」
「あんな人生を送ってはいけないんだ」
と学習することになるので、
反面教師にはなる…かな…?
常に母親の機嫌を気にして、自分の言動をコントロールしていたので
人がどう感じるかに敏感になったと思います。
よって人に害は与えにくいと思います。
しかしその分、気を使いすぎたり動きづらくなったり、
常に人の目を気にする意識が強くなります。
これはやはり生きづらさにつながるポイントです。
子どもの自己肯定感を高めるために実践していること
このような自身の経験から、今の子育ての中で気を付けていることがあります。
それは…
父親や親せきの愚痴・悪口は、子どもには言わない。
これは、母親の愚痴の悪影響を明確に意識するようになる前から、気を付けていたことです。
理屈抜きに、両親のような関係が嫌だったのです。
自分の両親のようにはなりたくない!
自分は自分の家庭を、自分の基準で幸せにするんだ!
という気持ちが強いです。
できれば夫婦げんかも見せたくなかったですが、これは何回かやってしまい、後悔しています。
今は、ケンカを回避するようにしています。。。
しかし日常生活の中で、パートナーに対する不満はどうしても出てくるものです。
ではそんな時はどうすればよいのか。
・友だちに聞いてもらう
軽いものならば、ネタのような感覚で笑いながら話せると、だいぶ楽になります。
友だちとの距離感や立場などは、考慮しなくはいけませんが。
・第三者に聞いてもらう
切羽詰まった時や、友だちに話すにはヘビーだな、と感じる内容であれば、第三者の相談できる機関を利用するのがいいと思います。
私もワンオペ育児の時期に、地域の子育て支援センターの相談室に駆け込んだこともあります(汗)。
話を聞いてもらえるだけで、本当に本当に助かりました。
匿名性もあり、守秘義務もありますから、安心感があります。
最後に
自己肯定感の低さは、生きにくさに直結すると考えています。
子どもには、幸せに生きていってほしい!!!
そのために子育ての中で気を付けていることをまとめてみました。
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